石巻の今 ときどき世界

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幻の港の遺構を見る! 明治政府初の近代港湾「野蒜築港」

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 ◎ 日本初の近代港湾として建設された「野蒜築港」。それは東北地方、現在の宮城県東松島市の河口にあった。だが、明治15(1882)年の完成から2年後、台風により突堤が破壊され、翌年廃港となった。「港として発展していけば、横浜よりも…」。この史実を知る人々を引き付けてやまない「幻の港」を語る座談会と、その面影を伝える遺構の見学会が3月3日、東松島市で開かれた。「未来につなぐ奥松島のたから」再生・活用実行委員会主催。

築港の概要や魅力、明治三大築港を語る

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座談会の会場

 東松島市野蒜市民センターであった座談会には東松島市内外から約80人が参加した。貞山・北上・東名運河研究会(東松島市)の後藤光亀氏、日大土木工学科准教授の知野泰明氏、三国港突堤ファンクラブ会長(福井県坂井市)の木村昌弘氏が話題提供した。

史跡としての価値、土木技術者の学びの場

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知野泰明氏


 知野氏は野蒜築港の概要を説明。野蒜築港関連事業は、2000年に土木学会が「選奨土木遺産」に認定した。明治三大築港の一つ、野蒜築港は史跡としての意味があるとともに、土木技術者にとっては学べる場所でもある、との考えを述べた(要旨は後述)。

 ※三大築港は野蒜のほか三角港(熊本県宇城市、世界遺産)と三国港(福井県坂井市、国指定文化財)。

築港に伴う新市街地づくりを解説 

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後藤光亀氏

 後藤氏は、野蒜築港の市街地整備について解説した。その中で、野蒜の失敗を参考に、三角港(熊本県宇城市、世界遺産)が入り江に造られたことは重要なことと指摘した。東日本大震災の大津波で土砂がさらわれたことから、新たな「悪水吐暗渠(あくすばきあんきょ)」(近代下水道)が見つかったことや、山形県で野蒜築港との連携に関心が高まっていること、活用に向けた取り組みとしての運河クルーズなどを実施していることを紹介した。

 地域振興に向け三大築港の連携に意欲

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木村昌弘氏

 木村氏は、九頭竜川河口に築造された三国港突堤(国指定文化財)を説明した。三国港は北前船の寄港地として栄えたことから、明治政府はやはりオランダ人技師による港の近代化を図った。全長511メートルの湾曲した形が特徴。昭和23(1948)年の福井大震災で沈下したが、かさ上げした。河口の港は砂がたまる不利があり、時代の流れもあって港の役割は衰退したが、現在も突堤の機能を果たしている。2018年5月、全国の北前船に関係する施設が日本遺産に認定された。坂井市は三国港をはじめ19件が構成文化財となった。こうした歴史を踏まえて港を生かしたまちづくりを進めており、明治三大築港というストーリーで連携していきたいと語った。 

知野泰明准教授の講話要旨

 「明治時代の宿題『野蒜築港』とは?」

 東松島市の隣の石巻市は、北上川河口に港があり、コメの集積港として栄えた。しかし、河口は砂が堆積して舟運に支障が出てきたことから、明治政府は新たな港の建設を計画。鳴瀬川河口を築港場所に決め、オランダ人技師のファン・ドールンを招いて建設に着手した。

 河口に2列の突堤を造り、河口部の左岸には新鳴瀬川を開削して内港とした本流河口部への水の流入を軽減させた。本流と新鳴瀬川に挟まれた三角地帯には新市街地を造った。明治11(1878)年に着工し、4年後に完成した。

 野蒜築港に合わせ、石巻から荷物を運ぶため、北上川(現旧北上川)から海岸沿いに北上運河を造って野蒜築港に直結させた。北上川との接続部にドールンの設計で造られたのが石井閘門で、国の重要文化財に指定されている。その後、野蒜-松島湾間に東名運河、松島湾から先は、江戸初期に一部掘削された貞山運河を延長して阿武隈川河口まで舟運がつながった。

 山形や秋田への道路整備や河川改修も行われた。野蒜は横浜より米国に近く、横浜より優位と期待された。しかし、台風によって破壊されたことや鉄道敷設が進みだしたことから、廃港となってしまった。

 野蒜築港は時の内務卿・大久保利通の東北七大プロジェクトの一つだった。ドールンは福島県の安積疎水工事にも関わっていた。地元郡山市はドールンの銅像を建立し顕彰している。野蒜築港は、公益社団法人土木学会東北支部が1998年に結成した「野蒜築港120年委員会」による数々のシンポジウムなどにより住民の関心も高まり、野蒜築港が語り掛けているものを探ろうとする活動が行われている。野蒜築港と三国港(福井県坂井市)、三角港(熊本県宇城市、世界遺産)は明治三大築港と言われ、3港の連携も生まれてきた。野蒜築港は史跡としての意味があるとともに、土木技術者にとっては学べる場所でもある。

近代的都市づくりを見る ー 遺構の見学会

 野蒜築港の遺構の大半は、鳴瀬川河口の左岸にある。野蒜築港ファンクラブの松川清子さんの説明を聞きながら見て歩いた。

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野蒜築港に伴って整備された新市街地の中央にある「紀功之碑」。築港完成記念に建てられたもので、工事の経緯などが刻まれている。この場所は新市街地の公園だった所で、近代的な都市づくりの先駆けだった。碑は大震災の津波で数十メートル流されたが、再建された
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築港工事に使われた石製ローラーも元の位置に再設置された

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東北地方初の測候所だった野蒜測候所跡の石碑。左のレンガの構造物は門柱と言われているが、測候機器を置いた施設の可能性もある

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堤防上にある「野蒜築港跡」の碑。これも大津波で倒されたが、再建された

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河口に残る2列の突堤

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新鳴瀬川に架けられた3本の橋のうち最下流側の橋台跡。レンガ造り。大震災前はもっと高かったが、大津波で上部が破壊された。右から写真奥に伸びているは北上運河

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 上流側の橋の橋台跡。新鳴瀬川は現在は本流と遮られている