2月24日に宮城県南三陸町の南三陸ホテル観洋で開催された第2回東北被災地語り部フォーラム2019の報告その3は「震災を風化させないための語り部バス」について。
スタッフが大震災当時の町内の出来事を説明
語り部バスは、同ホテルが東日本大震災翌年の2012年2月に始めた。宿泊客限定で実施している取り組み。2017年度の「ジャパン・ツーリズム・アワード」(日本観光振興協会・日本旅行業協会主催)の大賞を受賞した。
ホテルを出発し、東日本大震災で被災した戸倉小学校跡地、旧戸倉中学校、旧南三陸町防災対策庁舎を案内し、車窓から被災した施設を見せながら、ホテルスタッフのガイドが震災当時やその後を説明する。
戸倉小学校は大震災前に屋上避難か高台避難で議論になり、校長の判断に従うことになっていた。屋上避難を主張していた校長だったが、当日は高台避難を指示。全員、無事だった。隣にあった保育所は、小学校屋上に避難することになっていたが、園舎が壊れるほどの地震に、高台避難に変更し犠牲者を出さなかったという。
旧戸倉中学校
一方、海抜20メートルほどの高台にあった戸倉中学校は、「ここまでは津波は来ない」との想定で、町の指定避難所にもなっていた。津波の避難訓練は実施していなかった。しかし、大津波は校舎1階天井付近(22.6メートル)まで押し寄せ、近くの山に避難した。生徒一人と、住民を助けようとしたした先生1人が犠牲になったという。
高野会館
今回は通常コースにはない高野会館(同ホテルが所有)の館内見学を含まれていた。高野会館は東日本大震災当時、高齢者芸能発表会が開かれていた。巨大地震の発生で、スタッフは津波が来ると判断し、全員3階に避難するよう誘導。「死にたくなければ、ここから出ないで」と、1階ロビーで頑張ったという。それでも8人は出てしまったが、残った人は327人は屋上まで避難して助かった。この出来事はマスコミでも取り上げられた。
参加者はヘルメットを被って館内を見学した。建物の窓や内装の損壊は激しく、津波の威力を物語っている。南三陸ホテル観洋は高野会館を民間震災遺構とし残す考えだ。
高野会館内部
高野会館屋上(4階屋上から撮影)
高野会館の民間震災遺構説明看板
最後に町の中心部にある町の旧防災対策庁舎を、少し離れた南三陸さんさん商店街付近からから見た。町中心部は大規模な土地かさ上げ事業が行われており、近づけない。ガイドは、庁舎にいて防災無線で避難を呼びかけ続け犠牲となった女性職員のほかに、もう一人、男性職員も避難を呼びかけ、行方不明になったこと事実を紹介した。
車窓から見る旧防災対策庁舎
被災地同士が連携して語り継ぐ
今回のフォーラム全体を通じて共有されたのは以下の点だと思う。
①次に来るさまざまな災害から多くの命を守るために、被災の記録と記憶を伝え続けていくことが大切
②災害の少ない国、地域の住民でも、旅先でさまざまな災害に遭う危険があること、だから被災地に足を運んで学ぶことが重要
③世界の被災地が連携して学び合い、伝承活動「語り部」を継続・拡大していくこが必要
【参考情報】
語り部バスの利用料金は、中学生以上 500円、小学生以下 250円(1歳までは無料)。団体は別途相談。問い合わせは南三陸ホテル観洋0226-46-2442へ。
報告その1、その2は過去記事を参照ください。