東日本大震災の伝承活動の実践型広域団体「3.11メモリアルネットワーク」(事務局所在地:石巻市)は2月17日、宮城県山元町で「第4回 あの日を伝える学びあい」を開いた。会員の連携と質の向上が趣旨。ネットワークの会員や一般約20人が参加した。
中浜小は事前に津波避難を想定―当時の校長が語る
山元町坂元久根にある旧中浜小学校では、会員団体である「やまもと語りべの会」が語り部ガイドを行った。メンバーで、震災当時、中浜小学校長だった井上剛さんが大津波で被災した旧校舎を案内しながら当時の様子を語った。
説明によると、児童・教職員は大津波警報が出て直ちに2階建て校舎の屋上倉庫に避難した。津波は校舎の屋上近くまで到達したが、児童・教職員、避難した近所の住民ら90人は全員助かった。
井上さんにとって、中浜小学校は初めての海に近い学校への赴任だった。海から300メートルの近さが気になり調べると、ハザードマップで2、3メートルの津波浸水が想定されていることが分かった。引き継いだ避難計画では坂本中学校に避難することになっていたが、津波が到達する前に避難を完了することは難しい。学校周囲には5分以内に避難できる高台がないことが分かり、屋上避難も想定した。
2011年3月11日、津波警報は10メートルの高さということで屋上避難を決断した。平成元年に完成した校舎は、元の地面より2メートルかさ上げして建てられており、そのことによって津波は屋上まで達しなかった。
井上さんは「結果として全員助かったが、判断が正しかったのかは分からない。決断は勇気が必要だった。自分が指示した責任がある」と心境を語った。地区には過去の津波襲来の石碑もあったが、住民に伝わっていないことが課題とも指摘した。
屋上の倉庫では、あるもので応急のトイレを作ったという。
旧中浜小学校で語り部の話を聞く参加者
旧中浜小学校は震災遺構することが決まっており、町は6月以降に改修工事に着工し、来春、公開を予定している。
災害時の避難所を想定した地域交流センター
町民637人が犠牲となった山元町。2017年10月にオープンした山元町防災拠点・山下地域交流センター「つばめの杜ひだまりホール」も視察した。津波で被災して内陸側に移設されたJR常磐線山下駅前にあり、3階建て。通常は「親しみやすい交流拠点と防災を学ぶ施設」であり、災害時には巨大避難所となる。
約4,400人分の飲料水を3日間供給できる耐震性貯水槽や全館で3日間の電力を維持できる自家発電装置、太陽光発電装置などを備え、毛布や乾パンなども備蓄している。障がい者や赤ちゃんのいる家族が避難することを想定した部屋、シャワー室もある。750人の避難者を収容可能という。
災害時の入り口は鍵のカバーを破って鍵を開ける
かまどベンチ
マンホールトイレ
備蓄倉庫。岩佐館長(右)は今後も充実していくという
おしゃれなトイレのサイン
岩佐勝所長の案内で施設を視察した参加者は、よく考えられた施設内容に感心していた。視察後はやまもと語り部の会メンバーや岩佐館長を交えて意見交換した。
次回は4月下旬に福島県富岡町周辺を予定
次回の学び合いは、4月下旬に福島県富岡町周辺での開催を予定している。
「3.11メモリアルネットワーク」は2017年11月17日に設立。宮城県内を中心に岩手県・福島県、全国に広がり、個人会員388人、登録団体63となっている。事務局は公益社団法人みらいサポート石巻(TEL:090-9407-3125 E-mail: info@311mn.org)。