石巻の今 ときどき世界

地元新聞の元記者が石巻・東松島・女川の観光や食、漫画、猫、震災・防災などの地元情報を紹介します。ときどき世界のまち歩きも書いていきます。

初めて世界を1周した日本人は誰でしょう?

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 日本人で初めて世界1周を果たしたのは、いつ、誰か? 皆さんは知っているだろうか。それは江戸末期の1804年12月のこと。宮城県東松島市宮戸島と塩釜市の4人が11年もの年月を要して成し遂げた。その史実を伝える講演会「若宮丸漂流物語」が1月26日、東松島市の宮戸島にある宮城県松島自然の家で開かれた。

東松島と塩釜の4人、遭難から11年の年月

 当日の内容の前にまず、世界1周の概要を当日の配布資料から要約して紹介しよう。

  1793年11月、仙台藩の米の積出港だった石巻港から石巻の千石船(米などの貨物船)が江戸に向けて出航した。乗組員16人。1週間後、福島県沖で暴風雨に遭って太平洋を漂流することになった。翌年5月、アリューシャン列島アンドレヤノフ諸島の小島に漂着した。島民に助けられ、間もなく病死した船頭を除く15人はロシアのイルクーツクに移され、7年間生活した。

 1803年3月、一行のうち10人が首都ペテルブルグで皇帝に謁見し、4人が日本に帰ることを希望した。塩釜出身の津太夫、左平、東松島出身の儀兵衛、多十郎(正しくは太十郎だという)だった。ロシアは日本との交易を期待しており、4人を日本に送り届けることなった。その船、ナジェージダ号には若宮丸の乗組員でロシア人となっていた善六(石巻出身)が通訳として乗っていた。

 同年8月、ナジェージダ号はペテルブルグ近くの港を出発。大西洋をから南米最南端のホーン岬沖を経てハワイ、カムチャツカ半島を回り、1804年12月に長崎沖に到達した。善六はカムチャツカ半島のペテロパブロフスクで下船し、長崎には行かなかった。4人は翌年、仙台藩に引き渡され、江戸の仙台藩邸で蘭学者の大槻玄沢らの尋問を受ける。その記録は鎖国していた日本にとって貴重な海外情報となり、「環海異聞」として藩の貴重な公式文書となった。

  冒頭の写真は、宮戸島室浜の「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」にある記念碑。4人の世界1周の足跡が刻まれている。

 作家の大島さんが講演

 講演会は「儀兵衛・太十郎を語る会」と「未来につなぐ奥松島のたから」再生活用実行委員会が主催。地元住民を中心に約130人が参加した。あいさつなどの後、松島自然の家で活動をしている東北福祉大学のボランティアサークル「松島キャンプカウンセラーズ」が紙芝居「新宮戸八景物語」をスクリーンに映して上演した。

 東松島市奥松島縄文村歴史資料館の菅原弘樹館長は、宮戸島の竹浜の鳴り砂と「太十郎のジャケット」について語った。ジャケットは太十郎がロシア皇帝から賜ったものとされ、東松島市の文化財として同資料館が所蔵している。菅原館長は、詳しい鑑定が必要なことを説明した。

 石巻市出身の作家で「石巻若宮丸漂流民の会」事務局長の大島幹雄さんが、石巻日日新聞に連載した自作の小説「我にナジェージダ(希望)あり-石巻若宮丸物語」に関して、太十郎の古里への思いに関する自説、太十郎のジャケットとの出合いなどを語った。

 東京を拠点に活動する芸人「だめじゃん小出」さんは、映像や小道具を使いながらユーモアを織り交ぜて若宮丸乗組員の世界1周の旅を語り聞かせた。 

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東北福祉大学のボランティアサークル「松島キャンプカウンセラーズ」が紙芝居「新宮戸八景物語」を上演

 

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太十郎のジャケット」について語った奥松島縄文村歴史資料館の菅原弘樹館長

 

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 ロシア皇帝から賜ったと伝わる太十郎のジャケット 

 

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 講演する大島さん

 

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 「だめじゃん小出」の口演

 30数年前の新米記者の取材

 実は私も30数年前、地元紙「石巻かほく」の新米記者時代に役場職員から若宮丸の話を聞いた。太十郎の家系である奥田家がジャケットを保管しているというので取材し、記事にした。歴史ロマンを感じ、心を躍らせて記事を書いた記憶がある。

 1984年(昭和59年)からは「石巻かほく」に郷土史家が「津太夫おろしや譚聞書」の題で連載小説を掲載。のちに「いしのまき若宮丸漂流始末-初めて世界を一周した船乗り津太夫-」のタイトルで「石巻かほく」を発行する三陸河北新報社から出版された。(現在は絶版)

 若宮丸と同様の漂流物語は、若宮丸より10年ほど前に遭難した大黒屋光太夫の話が有名だ。小説や映画にもなっている。光太夫は今の三重県鈴鹿市の港を拠点とした回船の船頭。やはりアリューシャン列島でロシア人に助けられ、サンクトペテルブルグまで行き、約9年半で帰国できた。ただ、日本にはロシアから北海道に戻ったことから、世界1周はしていない。 

大島さんの著書について

 「我にナジェージダ(希望)あり-石巻若宮丸物語」は大島さんが自費出版している。2大島さんは2018年2月からは「石巻かほく」に、続編とも言える「ロシアに残った若宮丸漂流民~善六ものがたり」を連載中だ。また「魯西亜(ロシア)から来た日本人-漂流民善六物語-」(廣済堂出版 / 1996年)の著書もある。大島さんの著書に関しては大島さんのサイト「デラシネ通信」をご覧ください。 

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 「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」から望む石巻方面の景観。この日は珍しく雪が降り、雪の奥松島となった