男子小中学生3人が厳寒の岩屋で自炊生活
200年以上前から宮城県東松島市の宮戸島・月浜に伝わる鳥追い行事「えんずのわり」が1月11日夕刻から始まった。小学5年生、6年生、中学1年生の男子3人が、五十鈴神社参道脇の崖をくり抜いた岩屋に集まり、自分たちだけで精進料理を作って14日の夜まで生活する。
「えんずのわり」は「意地の悪い」という意味の方言。意地の悪い鳥を追い払い、五穀豊穣(ほうじょう)や大漁、無病息災を祈願する小正月の行事だ。国の重要無形民俗文化財、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟「プロジェクト未来遺産」に指定されている。文化庁の「国指定文化財等データベース」によると、「月浜のえんずのわり」は鳥追い行事の典型例と考えられる。一方で、子どもたちが岩屋にこもる儀礼など、地域的特色も豊かだという。
夕方、大将(最年長者)と呼ばれるリーダーの鈴木凜生(りき)君=鳴瀬未来中1年=、山内紳太郎君=宮野森小6年=、小野佑真君=宮野森小5年=の3人が集合した。岩屋は広さ10畳ほどで、正面は板の扉や窓があるだけ。内部はいろり、かまど、神棚がある。
大将の指示で、いろりで薪を燃やし、夕食の準備を始めた。大将の鈴木君はコメを研ぎ、かまどに薪をくべて羽釜を載せてご飯を炊く。ほかの二人は、床の上にまな板を置いてみそ汁の具となる大根、ジャガイモ、長ネギ、豆腐を切る。みそ汁作りのリーダーの山内君の包丁さばきはなかなか上手だ。一番下の小野君はなかなか作業がはかどらない。山内君が時々指示を出したり、手助けをしたりする。
壁に作られたかまどでご飯を炊く鈴木君
山内君の包丁さばきはなかなかのもの
岩屋の内部は、薪を燃やす煙が立ち込め、目が痛くる。それでも外の気温は1、2度。いろりの炎の暖かさはうれしい。本当はニンジンも入れるが、今回は持ってくるのを忘れたようだ。ゴボウは切ってあく抜きした市販品だ。いろりの自在鉤に吊るした大きな鉄鍋のお湯が沸き、切った野菜を入れる。味付けはみそだけ。これは大将の役目のようだ。
煙る中でのみそ汁つくり
下の二人は、洗いものに取り掛かった。岩屋に水道はない。外のポリタンクの水を使う。かなり冷たいはずだが、二人は気にならない様子だ。鈴木君が二人に「味見して」とみそ汁を入れたおたまを渡した。「かなり薄い」と山内君。2度目は「うん、おいしい」。
冷たい水で洗いもの
正面から見た岩屋
さあ、ご飯とみそ汁ができた。小さなお膳セットにご飯とみそ汁を入れ、神棚に供えてから食事が始まった。みそ汁はおいしくできた。でもご飯はちょっと火から離すのが早かったようだ。水分が残っておかゆのようらしい。それでもご飯とみそ汁だけの質素な精進料理なので、お代わりをしておなかを満たし、笑みがこぼれる。みそ汁は取材陣にも振舞ってくれた。本当にうまい。
できた料理を神棚に供える
「いただきます」の後に笑顔の小野君(右端)
鈴木君は今、月浜には住んでいない。2011年3月11日に発生した東日本大震災で自宅が被災し、防災集団移転で市内の別の地区に住んでいる。それでもこの行事に参加している。報道陣の取材に「対象初めての大将なので楽しみだったけれど、みんなを引っ張っていけるか不安もあった」と語った。それでもやってみれば「火を起こしてわいわい話しながらするのが楽しい」と言う。
夕食後はいったん自宅に戻り、入浴してから地区の集会所に泊まる。翌朝は午前3時に起きて朝食の準備をする。メニューは同じ。日中は平日なら学校に行くが、今年は連休のためそれぞれの家庭で過ごす。これを14日夕方まで繰り返す。14日夜は主要行事の「鳥追い」を行う。松の木の先端を削った2メートルほどのご神木を持ち、地区の全家庭を回って「えんずのわり とりょうば(鳥追わば)、かずら(頭)わって…」と唱え、家業の繁栄や健康・安全などを祈り、最後に「陸(おか)は万作、海は大漁、銭金はらめ」と締めくくる。
奥松島と言われる一帯にある宮戸島の月浜は、東日本大震災で大きな被害が出た。えんすのわり保存会の小野舛治会長(69)によると、震災に約40世帯、130人が暮らしていたが、今は23世帯、80人ほどになった。波の穏やかな海水浴場があり、漁師の多くが民宿も営んでいたが、今は5軒のみ。子どもの人数も少なくなり、えんずのわりの参加要件も範囲を広げ、小学2年から中学3年の男子としている。それでも次に参加できる男の子は現在3歳。
小野会長は「いつまで続けられか心配している。ただ、むやみに条件を緩めるわけにはいかないし」と厳しい状況を語る。
五穀豊穣や大漁、家内安全を祈る伝統行事だが、子どもたちのリーダーシップや生きる力を磨く行事でもある。今後も続くことを願ってやまない。